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2006年05月26日

Songs Our Daddy Taught Us

Songs Our Daddy Taught Us/エヴァリー・ブラザーズ
Songs Our Daddy Taught Us

今回はちょっとマニアックで上級編です。ロックの歴史を語る上で欠かすことのできない存在であるエヴァリー・ブラザーズの2枚目のLPで、シンプルで飾り気のないバラード集です。"Bye Bye Love"でヒットを飛ばした後に"Wake Up Little Susie"や"All I have to do is Dream"などおなじみのナンバーを立て続けにヒットさせてメジャーレーベル(ワーナー)に移る直前に作り上げた、ロックからは一歩はなれて純粋に物語風のバラッドとハーモニーで聞かせるコンセプトアルバムとなっています。間違いなく初心者が聞けば眠りを誘いますが、各曲の物語に耳を傾け、歌い継がれるフォークの伝統に思いをはせれば、きっと離れられなくなるアルバムとなることでしょう。またこのアルバムの曲の中からポール・サイモンアート・ガーファンクルが少なくとも 5曲を様々な形でレコーディングしていることを考えれば、S&Gファンにとっても必聴のアルバムです。

The Everly Brothers: Walk Right Backから、抜粋翻訳
(作者Roger White, 翻訳 yossie YSK)

 (1959年のイギリス)ツアー中に、エヴァリーズの2枚目のLPがアメリカでリリースされた。"Songs Our Daddy Taught Us"というタイトルがつけられたこのアルバムは12曲のフォークソングからなっており、その大部分は彼らが父親に教えてもらったという曲である。'Barbara Allen'や'Down in the Willow Garden' のような曲以外にも比較的新しい曲も収録されたが、これらは一枚のアルバムに無理なくまとまり、コンセプトアルバムのはしりとしても捉えられるべきものに仕上がった。曲はすべてスローで、感傷的な歌詞も多い。このアルバムを陰鬱だと評する向きもあるが、これは紛れもなく、その完璧なハーモニーを損なってしまうかもしれないバッキングを最小限に抑えた、エヴァリー・ブラザーズの模範的なアルバムなのである。録音に参加しているミュージシャンは、アコースティックギターを弾いたドンの他には、ウッドベースを弾いたフロイド・チャンスのみで、彼は「なんてこった、君らは演奏する一つ一つの音符がすべてくっきり聞こえてしまうようなアルバムに僕を参加させようとするのか!」と言っていたと伝えられている。アーチー・ブレヤー(訳注:マネジメント会社の社長)によれば、このアルバムこそが、25年たってみれば一番多く問い合わせや手紙を受け取ったアルバムだったとのことで、ポール・サイモンもこのアルバムをお気に入りに挙げている。

 12曲はエヴァリーズがケイデンスと契約した17週間後の1958年の8月に録音された。しかしドンのこのアルバムに対するコメントには、この契約に関してすでに若干の幻滅の念が含まれていた。「僕らはケイデンスを去るだろうと思ってたし、最後のアルバムは音楽的に自分の好きなものにしたかった。でもケイデンスに、あとからシングルとして発売してその後の自分たちのキャリアを邪魔されるような曲を残したくなかったんだ。だからこの"Songs Our Daddy Taught Us"のアイデアを僕が提案して、みんなそれに賛成したんだよ。やってみるのは簡単だった。このアルバムはフォーク・ミュージックがどうあるべきかってことを示してる。カントリー・フォークミュージックとか、人々がポーチに腰掛けて口ずさむ歌とかをね。今でも大好きなアルバムだよ。気品のよさと伝統を上手く持ち合わせているんだ。」


●Rhino盤Songs Our Daddy Taught Usのライナーノート翻訳
(翻訳 yossieYSK)

 ケンタッキーに住む者に別のケンタッキー出身者を褒め称えよということは、ちょうどダラス出身者に「テキサスについて何か話してください」と言うようなものである。私はカントリー&フォークのDJやテレビ司会者として、才能あるドンとフィルのエヴァリー・ブラザーズとは長い付き合いがある。ナッシュビルのテレビで彼らを起用していたが、当時彼らは驚くほど少ないギャラしかもらっていなかったから、今にしてみるとなんだか申し訳ない気持ちもする。彼らは当時も今と変わらない演奏をしていた・・・才能と、熱意と、そして品格を持って。私たちが最後に一緒に仕事をした後には、彼らは国際的な地位を確立していったが、彼らの聴衆に対する心優しさと誠実さは、二人がそれぞれ7歳と5歳のときに演奏を始めてからずっと変わらないのである。

 エヴァリーズはアメリカの偉大なカントリーミュージシャンの一人である彼らの父親、アイク・エヴァリーに教えられ、インスピレーションを与えられてきた。別のケンタッキー人であり、独自のギタースタイルで認められているマーレ・トラヴィスも、アイク・エヴァリーはこれまでで最も偉大なギタリストの一人だとしている。アイクは息子たちをよく教え込んだ。彼がこのアルバムにこめられている表現や解釈を伝えたのであって、またすべてのアーティストたちがこれによってインスピレーションを受けているのである。

 よくある理論としては「フォークソングというのは作者不明で集合的な民族起源のものである」(スタンレー・エドガー・ヘイマン)というのがある。しかしながら、最近では作者も起源もはっきりとしている歌がフォークソングとして受け入れられてきているし、すくなくとも実際には「フォーク」と呼ばれている。例えばA.P.カーターとか、ジミー・ロジャースヴァーノン・ダラートカーソン・ロビンソンのようなシンガー・ソングライターたちの作品は実際にはフォークだと捉えられているし、間違いなくA.P.カーターはヴァージニア、カロライナ、テネシー、ケンタッキーなどの山から自分の歌の素材を集めてきている。こうした歌の多くはスコットランド系イギリス人やアイルランド人の移住者によって山岳地帯に持ち込まれたものである。ジミー・ロジャースは南部の鉄道工事に携わっていた若き日に、黒人たちのブルースに刺激された。カーソン・ロビンソンはミズーリを越えて西へ渡った開拓者たちの歌の恵みをもとにした。アメリカにはプロの作曲家もいれば、プロでないものもいる。自分のメロディーを書いても、彼らは作者や起源のわからない古い音楽からメロディを『借りる』ということを拒むわけでもなかった。

 このアルバムにはプロのソングライターによるオリジナルの歌もあれば、遠い過去から来た起源のわからない歌もある。エヴァリー・ブラザーズはその両方の歌に、純粋主義者も、起源にこだわらずにいい音楽を好む聴衆も喜ばせる力を与えているのである。

Roving Gambler
 Roving Gamblerの知られている最初の録音は、偉大なカウボーイシンガーとして知られるカーソン・ロビンソンのものである。だがこのアルバムに収録されたものは、オリジナルからは歌詞が変わっている。オリジナルのイギリス版は16世紀の追いはぎ強盗(highwayman gamboler)について歌われたものだった。カール・サンドバーグによれば、Roving Gamblerは「イギリスに起源を持ち、南部や西部の吟遊詩人たちが自分たちの歌詞をつけて作り上げたもの」だとのことだ。サンドバーグはさらに「追いはぎ強盗はギャンブルをするかもしれないし、ギャンブラーは追いはぎをするかもしれないにしても、イギリス版の歌詞にはカードは出てきていない」とも述べている。

Down in the Willow Garden
 この古いアイルランド民謡はもともと"Rose Connally"というタイトルで知られて、長い間アメリカの初期のカントリー歌手、チャーリー・モンローのレパートリーとなっていた。悲劇に満ちた悲しい小歌曲となっていて、ある純粋無垢な少女が、結婚することや父親になることを嫌がって解決策として殺人を選んだ若者に殺されてしまうことを歌っている。嫉妬が歌の中で殺人の動機となることもよくある。そういう歌としてよく知られているものの中には"Pretty Polly", "By the Banks of the Ohio" や、そして"The Oxford Girl"という古いイギリス民謡などがある。この曲はアメリカでは"The Knoxville Girl"として知られているものである。今日のブルーグラス奏者はだいたいこうした曲をレパートリーとしているのである。

Long Time Gone
 テクス・リッターとフランク・ハートフォードは"Long Time Gone"をフォーク風のインストゥルメンタル・ブルースとして書き上げた。このメロディはマーレ・トラヴィスのギター用に書かれたものである。リッターはハートフォードとたくさんの曲を共作しており、多くが初期のTex Ritter映画の挿入歌に使われた。こうした曲はほとんど忘れさられたが、"Long Time Gone"(永く戻らない)はずっと私たちとともにあるだろう。

Lightning Express
 アメリカンカントリー&フォークの長老の一人であるジョン・レイヤーがブラッドリー・キンケードという法律学校に通う若者に出会い、彼をシカゴのWLS 局に出演させたことで、キンケードはラジオで活躍するカントリーミュージシャンのさきがけの一人となった。キンケードはアメリカ南東部から歌の素材を集めてきており、そのうちの一つがこの曲である。炭鉱の爆発事件や、列車事故の悲劇、採掘場に閉じ込められた男の話などがキンケードやダラート、ロビンソンのような作曲家の曲のネタになっていた。こうした曲がその当時にはポピュラーだったのである。

That Silver Haired Daddy of Mine
 ウィル・ロジャースに発掘されて彼にカリフォルニア行きを奨められる以前は、ジーン・オートリーはオクラホマの鉄道で働いていた。彼は、彼の妻の叔父であるジミー・ロングとともに、自宅近くの小さな町を回って演奏をしていた。オートリーとロングは、やがてアメリカン・スタンダードとなる"That Silver Haired Daddy of Mine"を共作した。オートリーのバージョンは、彼があの大きな利益をもたらした「赤鼻のトナカイ」を発表するずっと以前に、大ヒット作品となったのである。

Who's Gonna Shoe Your Pretty Little Feet

 このスコットランドのフォークソングは貴族のジョージ卿とマーガレットという女性との間に生まれた私生児の息子について歌っている。この女性は赤ん坊を腕に抱いてジョージ卿の城へ出向き、彼に息子のことを話そうとしたが、彼は眠っており、卿の母親がこの子の声をドアの向こうから聞きつけて、可愛そうなマーガレットを追い返した。悲嘆にくれたマーガレットは湖で小さなボートに乗り込むが、嵐に襲われ、ジョージ卿が目を覚ますと彼の女中とその息子は彼の目の前で溺れ死んでいたのである。バージニアやケンタッキーのような炭鉱地域では、この曲は貧乏で家族を十分養っていけない炭鉱夫についての悲しい歌となって伝えられた。

Barbara Allen
 フォークやカントリー歌手は悲劇のストーリーばかりを歌うということがよく言われる。いつもそうだというわけではないが、確かに多くの場合は悲劇が歌われると認めざるを得ないだろう。"Barbara Allen"は17世紀の初頭にその起源をさかのぼる。1666年にサミュエル・ピーピスが彼の日記にバーバラ・アレンについて書いたのがはじまりで、ゴールドスミスがこの歌に強い関心を示した。初期の文献によればこの女性はあきらかに貞節な淑女であったが、その後たびたび冷たく復讐心にもえた女性として語られてもいる。スコットランドやイギリスからバージニアに移住した人々がアメリカにこの歌を伝えたといわれている。曲はカンバーランド谷を越え、やがて遠くを旅する木こりや、ほとんど家にいない炭鉱労働者の妻や愛人たちの嘆きの歌となった。それでもいまだ時には反抗の響きを残し、また確かにひとは愛のために死ぬこともあるという悲しみも歌われるのである。

Oh So Many Years
 ベイルス・ブラザーズはバージニアやウェストバージニアのラジオだとか、あるいはナッシュビルのGrand Ole Opryなどで演奏していた。彼らの書いた曲や録音はだいたいもの悲しく、哀悼歌などであった。一番有名なのが"Oh So Many Years"で、それほど知られている曲ではないが、いわゆる「ソングライターの曲」である。昔も今も、いろいろなアーティストによって歌われてきた曲である。

I'm Here to Get My Baby Out of Jail
 有名なジョン・レイヤーに発掘されたアーティストのなかに、カール・デービスとハーティ・テイラーという、2人のケンタッキー人がいる。ジョンは"Cumberland Ridgerunners"というバンドで演奏していた。2人はレイヤーとの仕事をシカゴのWLS局で1930年代に始めた。彼らは大ヒットを飛ばし、"I'm Here to Get My Baby Out of Jail"も30年代のヒット曲である。このアルバムからシングルカットされている。

Rocking Alone in an Old Rocking Chair
 ボブ・ミラーは1930年代から40年代を通じてニューヨークのブロードウェイ1619番地にあるブリル・ビルディングにいて、いくつかの世代を超えて記憶に残るカントリーソングを書いた。"Rocking Chair"や"Seven Years with the Wrong Woman"はナッシュビルの偉大なカントリーシンガーである、エディ・アーノルドが録音している。現在に至るまで、この2つの歌はレコードも楽譜も合わせて何百万枚ものヒットとなっている。

Kentucky
 筆者のようなケンタッキー生まれのものにとっては、このH.プリチャードの曲の、「ブルーグラスの州」を讃える歌詞は、心からの願いを表すものである。

 「ケンタッキー
  君は天国にもない最も親愛なる大地
  ケンタッキー
  あのローレルや赤いつぼみの木々が懐かしい
  僕が死ぬときは
  恵みに満ちた山高くに身を休めたい
  そこが神様が僕を探しにくる場所だから」

 過去の演奏者はこの歌詞の中で冗談で、神様がやがてやって来て「さあ、あの山の田舎者をどこへやったっけ?ああ、思い出した。たしかケンタッキーのどっかだろう。」と仰るだろうと遊びを入れたりした。もう活動していないザ・ブルーススカイ・ボーイズによるレコーディングがカントリーの定番となっている。アメリカのフォークミュージックの研究者はこのレコーディングが初期の2パートハーモニーの完璧なお手本だとしている。エヴァリー・ブラザーズはこのオリジナルのザ・ブルーススカイ・ボーイズをほぼ同じようにカバーして録音している。

Put My Little Shoes Away
 ギド・ターナーとスキレット・リッカーズという成功したカントリーバンドがいる。カントリーバンドでは普通のことだが、バンドのそれぞれのメンバーが優れたミュージシャンで、個人としても後に有名になったクレイトン・マクミシェンやピート・ノリス、そしてジョージア出身の盲目のシンガーであるリレイ・パケットがいた。彼はジョージア、ウェストヴァージニア、テニシー、オハイオなどのラジオを通じてスキレット・リッカーズに参加し、"Waiting for an Evening Mail"や"My Carolina Home"、"Put My Little Shoes Away"などを演奏した。この歌は1900年代初めによく知られていて、スタンダードとなり、今に至るまでたくさんのアーティストによってカバーされているフォークソングである。

 この素晴らしいフォークとカントリーのコレクションをどうぞ楽しんで、そして大切にしてください。これらの歌は多くの人に楽しみを与えてくれ、そしてこれから生まれてくる人たちにも与え続けることでしょう。どれもとても素敵で、心に残る歌と演奏です。

                        ヒュー・チェリー、1964





posted by yossie at 00:00 | 東京 ☁ | コメント(0) | トラックバック(0) | The Everly Brothers
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