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2006年03月01日

S&G NPR Interview その1

●NPR Simon & Garfunkel Interview 翻訳 その1

サイモン&ガーファンクルが二人で出演したNPRラジオインタビューを個人的に翻訳してみたものです。聞き流しながらかなり急いで書いたのであまり一語一語正確にはなってませんが、これを日本語で楽しめる資料が他になく、しかも中身が非常に興味深い内容なのでそのまま載せました。

もとネタはこちらです→Simon and Garfunkel, The Interview

Scott Simon (SS): NPRニュースのウィークエンドエディションをお送りします。司会のスコット・サイモンです。アート・ガーファンクルとポール・サイモンがスタジオに来てくれています。二人一緒に、ですよ。念のため。デュオとしては1964年の「サウンド・オブ・サイレンス」から1970年を飾るあの「明日に架ける橋」まで6年間活動し、この短い6年間の活動でサイモン&ガーファンクルの名前は全米に広まってアメリカ文化の代表となり、世紀をまたいでその洗練された歌詞と忘れがたいハーモニーで人々を魅了してきました。そのサイモン&ガーファンクルが再びツアーを行い、7月には全欧州を回ります。夏には新しいサイモン&ガーファンクルの曲も予定されています。お二人をスタジオに迎えられるのはとても喜ばしいことです。今日は来て頂いてありがとうございます、ガーファンクルさん。

Art Garfunkel (AG):どういたしまして。

SS:そして、サイモンさん。

Paul Simon(PS) : どうも。

SS:さて、ここに至るまでの数週間のことですが、なぜまたツアーに出ることになったんでしょう?20年後の今になって?

AG:ダメですか?

SS:(笑い)

AG:やるべきことだと思ったからですよ。僕らは歌って、ハモって、ずっと一緒にうまいことやってきてるしね。そしたら「なんで一緒にやらないんだ?」ってことになるでしょう?それが自然なことなのに。二人の声をブレンドさせるって楽しいんですから。

SS:そうすると、やめようと思ってたんですが、この質問をしなくてはなりません。どうして今までしてこなかったんでしょう?

AG:それはポール向きの質問だね。

PS:… 10年たってなぜまた再結成かと言うと、僕らグラミーでライフタイム・アチーブメントを受賞したんですよね。そこで歌うように言われて授賞式で歌ったんです。それまで10年一緒に歌ってなかったけど。ずっと僕らがもう一度ツアーをしてくれないのかっていう要望はずっとあって、この授賞式以来その要望が膨れ上がってきたんです。で、それならやってもいいのかなって。それが2月のこと。で、秋になってツアーに出たってわけです。そんなに長いものではなかったけどね。40ヶ所をまわり、今回はこれから30ヶ所を回って、で、それで絶対もう終わり。つまりグラミーでこうしてもらって、正式にこれでさようなら、って言うにはいい機会だった、とこういうことなんです。

SS:…。わかりました。本で読むところでは二人は50年前、6年生のときに出会って、それは「アリスの不思議な旅」でのことだということですね。ガーファンクルさんはチェシャ猫で…

AG:そのとおり。

SS:サイモンさんは白ウサギ。この配役は良かったですか?

AG:…さあ、よく分かりません。チェシャ猫っていうのは現れたり消えたりして…。

SS:ああすみません、そりゃそうか、6年生ですもんね。

AG:でも僕は自分の役を研究してみたんだけど、確か僕は縞模様の入った衣装を着て、その縞を利用して壁に溶け込んだりした。

SS:そのときに一緒に歌い始めたんですか?その舞台がどのようにお二人に作用したんでしょう?

PS:いや、その次の年に歌い始めました。

AG:次の年あたりでロックンロールがラジオで流れ始めたからね。

PS:そう、次の年、7年生の時に歌い始めたね。

SS:どこかの時点で、自分たちの声がすごく美しくブレンドされるんだって気づいたときがあったんでしょうか?

AG:えっと。最初に歌い始めたときのことって覚えてる?

PS:覚えてるよ。

AG:♪ A Girl for Me...

PS:最初は全然考えなかったですね、うまく二人の声が合うなんて。うちの近所では二人で歌ってる子供って僕らしかいなくって、それは特別でしたけど。

SS:それはクィーンズのフォレストヒルズ?

PS:ええ、いや、正確にはキューガーデンです。それから僕らはまた別の友達とも歌い始めました。5人グループでね。3人男の子で、2人の女の子。ドゥーワップを歌ってました。思い出すのは…

AG:(突然歌う)♪ Bo Bo Bo...

SS:(笑い)

PS:(笑い)そのあとはないんだね。

AG:もういいよ。

PS:思い出すのは、ある日和音で歌うってことを覚えたんです。一人がある音程を歌って、別の人が別の音、また別の人がまた別の音ってやると、和音(コード)になるってね。それは革新的なことでした。

AG:それから僕たちは二つのテープレコーダーを持ってました。それを組み合わせて使って。まずひとつに二人でハモリを録音して、それを再生しながらもう一度二人でハモってうたってもうひとつのレコーダーで録音すると4声のハーモニーになる。こうやってよく、荒削りなんだけど、声を重ねるってことをしてましたね。

PS:僕らにとっての最初のデュオとしてのお手本はロバート&ジョニーっていうグループでした。彼らは「You're Mine and We belong together」っていう曲があって、ハーモニーがユニークでした。リードシンガーが上で、その下をハモリのパートが歌われているんです。普通はハーモニーが3度上なんですけどね。なのでちょっと違ってたんです。だから最初はそのスタイルをやってみたんです。で、ご存知のとおり次のお手本がエヴァリーズ。彼らはもっと普通に、メロディが上にあるハーモニーによって引き立てられるというスタイルでした。そうやって、僕たちは二つの声でどうやって歌うかを練習したんです。

SS:ガーファンクルさんの声をどう思われましたか?

PS:…。

SS:ああ、アート、って言ったほうが分かりやすいですか?(笑)

AG:アートって呼んでくれていいよ、スコット(笑)。多分それは難しい質問だよね。ただハーモニーが好きだったっていうだけで、お互いの声質なんてあんまり意識してなかった。ハーモニーが作り出す和音が好きだった。

PS:アーティは近所で一番有名なシンガーでしたよ。僕はあとから歌うってことを知ったんです。アーティが4年生のときに出たタレント・ショーで歌ってたのを見て、自分も歌いたいと思ったんです。彼はそのときナット・キング・コールの歌を歌っていて…

AG:「Too Young」が最初でした。

SS:「若すぎる」って?

AG:そう。

SS:4年生のときにそんな歌を?(笑い)

AG:若すぎたね(笑い)。そのあとに君の父さんが僕が歌ってるときに通り過ぎて、僕の声をいいって褒めてくれたんだよね。それが僕にとっては、自分がいい声を持ったシンガーなんだって自覚できた時だった。だよね?

PS:そうだったね。その通りだった。僕が一番最初に気に入った曲は「Anywhere I Wander」っていう曲でした。

AG:僕らはメロディーのきれいな曲が好きなんですよ。♪Anywhere I wander, Any where I go... そう、いい歌でした。

SS:それで、どうやってトム&ジェリーになったんでしょうか?トム&ジェリーは普通アニメのキャラクターですけど、そういう芸名で歌ったんですよね?

PS:実際にそれはアニメから取ったんです。

AG:僕が答えようか?僕たちはずっと曲を作ったりハーモニーで歌ったりしてきたんですけど、なかなか夢だったラジオで放送されるってところまで行かなかったんです。学校ではちょこちょこ歌いましたけど。高校になるときにはもうあきらめかけてて、この「ヘイ・スクールガール」っていう歌を最後にデモ録音してみようってことになって、1時間分7ドル払ってスタジオに入って、これが思い出に残る最後の歌(スワンソング)だって言いながら録音しました。ところが待合室で聴いていた人が僕らを気に入って契約をしてくれたんです。その人が僕らをトム&ジェリーって呼びました。それでレコードができて、15万枚売れたんです。

SS:そのときあなたたちは15〜16歳ですか?

PS:ええ、15歳でした。16歳になるころか。アメリカン・バンドスタンドに出るころは16歳になってすぐだったから、録音したのは15歳でアメリカンバンドスタンドに出る前に16歳になったんです。もう君は覚えてないかもしれないけど、アメリカン・バンドスタンドにでる人はそこで新しい曲を演奏して、そして点数をつけられるんです。で、僕らの曲が出て…

AG:僕らの点数は何だった?

PS:95、95、95。ということは、ヒット曲だってことなんだよね。

AG:そのときジェリー・リー・ルイスもショーに出てた?

PS:うん…

AG:点数はつけれらたの?

PS:いやいや。そう、僕らが出たときのほかのゲストにジェリー・リー・ルイスがいて、それは大変なカルチャーショックでした。彼の楽屋に行ったときにその「ザ・キラー」が髪を櫛でとかしてるところを見たんですから。

SS:彼の奥さんはそのときのあなたより若かったんじゃないですか?

PS:いえ、そのときはまだ結婚してなかったと思う。そのときは彼はキャリアのピークにあったから、その次の年かな、あの悪名高い結婚をしたのは。

SS:しかしまあ、すごいですね。二人のクィーンズ出身のティーンエイジャーがその当時のポップミュージック界の超有名人に会って、自分たちもおんなじ世界にいるんだって…

AG:これはずっと僕の頭の中にあることなんですけどね、僕はポールがいなかったらここまではできませんでした。彼はサイモン&ガーファンクルのエンジンなんです。僕を引っ張ってブリル・ビルディングに連れて行ってくれて。僕だけだったら、そんなロックンロールの大人の世界には怖くて入ってけませんでしたから。

SS:いまあなた方がツアーで歌っているいくつかの曲について質問したいと思います。こういう聞き方はいかがでしょう。毎晩歌っていて楽しい曲は何ですか?

PS:ほとんど全部です。なかには少しだけ難しい曲がありますけど。なぜならそれらの曲はオリジナルのスタジオレコーディングでこそ魅力があるっていうのがありますからね。…なのでその質問にはなかなか答えにくいんですが…。

AG:いくつかは結構気に入って…

PS:「明日に架ける橋」はいいよね。

AG:「旧友」はやるの好きだよ。ショーの最初にね。

PS:うん、あれはいいね。

AG:でもなんでコンサートをやるかといえば、すべてのことが楽しくって、意義深いと思えなければできないでしょう。自分自身が楽しめないならこんなことはできません。観衆だって気づくでしょうし。だからポールとリハーサルをやってきて、これらの曲がみんなまだ素晴らしいって思えたよ。ほとんどの曲がね。

SS:それでは個別に聞いてもいいでしょうか?

AG:どうぞ。

SS:「サウンド・オブ・サイレンス」についてです。長年聞いてきた話ですが、プロデューサーがこれを加工して予想外のヒットを生んだという話。

AG:その通りです。まったくその通り。

SS:具体的にはどのようなことが起きたのでしょうか?

AG:僕ら…夏休みから戻って…たしかポールが卒業したときだと思ったけど、あるイギリスに住んでる人がショーをやってて、夏に彼らに合流したんだけど、それから帰ってくると、1965年の夏でしたが、一年前にポールと僕が録音したアルバムの中の一曲が、つまり『水曜の朝、午前3時』のなかのギターとボーカルだけのフォークバージョンの「サウンド・オブ・サイレンス」が、フロリダのラジオ局で反響を集めていたんです。その反響が何ヶ月も続いてニューヨークに電話がかかってきて、これをシングルで出すべきだっていう話になりました。で、コロンビアのトム・ウィルソンがそれにベースやドラム、12弦のエレキ・ギターを足して、その当時の流行っぽく仕上げました。1965年の9月に僕が帰国するとそれを聴かせてくれて、僕は失敗のままよりはいいと思ったし、ただそれを楽しんでました。でその後自分の人生が変わっていくのを目の当たりにしてきたわけです。

SS:この歌をいまではどのように歌いますか?何か違いますか?

PS:いや、同じですよ。ホントに。

SS:「サウンド・オブ・サイレンス」とかその他の歌を演奏するときは歌い方なんかに40年前と変えなくちゃいけないとかあったりしませんか?ちょっとだけ変えたりとか?

AG:君はそうしてるじゃないか。イントロからオリジナルよりゆったりとスローに始めてメロディーが滑らかにギターに乗っかる、あのプレイはなかなかいいと思うよ。ゆっくりとはじめて、それから二人のハーモニーがくるっていうやり方は、君が僕の家のキッチンで教えてくれたときから変わってないよね。

PS:あの曲に関して説明するとね、こういうことなんです…

SS:ええ、お願いします。

PS:あの曲を書いたのは21歳のときのことでした。書いたのはクィーンズの家のお風呂場でした。電気は消して。水を流したままで。そういう雰囲気が好きでしたね。

SS:電気を消して水を流すとインスピレーションが沸くんですか?

PS:そうです。そのとおり。

SS:早速試してみなくては(笑い)。

PS:試してみてくださいよ。きっと分かると思いますよ、それからキャンドルでも立ててみたら。…で、そうやって曲を書いたのはカレッジを卒業したてか最後の年だったかです。そのころはニューヨークの出版社でアルバイトをしていて、別のアーティストが録音する曲っていうのを彼らのカタログから選ぶっていう仕事をしていたんですが、まったく自分に向いてなくって。でもそうしてレコーディング会社に通ってる間にコロンビア・レコードのトム・ウィルソンに出会いました。彼はちょうどピルグリムズっていうグループのレコーディングをしていました。彼が手がけていた名のあるアーティストは唯一ボブ・ディランだけでしたね。そこで僕は彼に、そのピルグリムスにいい曲があると持ちかけました。そして彼の前で「サウンド・オブ・サイレンス」を弾いたんです。彼は、その曲を彼らに録音させたい、と言いました。そこで僕は、「一緒に歌っている友人がいるんだけど、彼を誘って歌いに来ていいですか?」と尋ねました。彼はそれを承諾してくれて、コロンビアへのオーディションをアレンジしてくれたんです。僕ら二人で出かけていくと、僕らのオーディションをレコーディングしてくれるというエンジニアがロイ・ハリーでした。それ以来ずっと僕らの録音エンジニアをしてくれた人です。僕たちは3〜4曲歌いました。その時のコロンビアの社長が非常に尊敬されていた人物で、彼自身がクラシックのバックグランドと作曲家としても活躍していたんですが、その彼が契約をしてくれました。コロンビアの社長が直接契約を結んだんです。これは意味のあることなんです。それから彼は僕らをオーディションをしてくれたトム・ウィルソンのところへ案内してくれて、最初のアルバムである『水曜の朝、午前3時』を録音しました。「サウンド・オブ・サイレンス」はその中の一曲。おそらくそれが一番の曲だってわれわれも思ったと思います。ベストパフォーマンスだっていえる曲ってそうないですけどね。そうやって、当時最も権威のあるレーベルであるコロンビアが我々と契約をしてくれたわけです。ティーンエイジャー向けの曲を録音して、それから大学へ進んで、それから帰ってきてコロンビアレコードに契約をしたという感じです。そうしたら、もう彼らは僕らを「トム&ジェリー」なんて呼ばないですよね。それは最初のレコード会社がくれた名前ですし。それじゃあ、このグループをなんて呼ぶんだ、ってことになりました。当時すでに「アート&ポール」っていうフォークデュオが存在していて、それは使えませんでした。それでいろんな名前が候補に挙がったんですが、「サイモン&ガーファンクル」と呼ぼうなんて誰も考えませんでした。響きが外国人っぽいですからね。誰もそんな名前を使おうとしなかった。だってボブ・ディランだって決して本名のボブ・ジンママンって名前を使わないでしょう?でも結局何にもいい案が思いつかなくって、結局社長が「サイモン&ガーファンクル」でいこう、と言ったんですよ。そういうわけだったんですが、この出したアルバムはヒットしませんでした。それで僕はイギリスに行って一人で歌ってました。向こうに行ってる間にラジオ局で…。あ、アーティの言ったことの繰り返しになるね。

SS:いいですよ。

PS:フロリダのゲインズビルとボストンのラジオ局にこのアコースティックバージョンの「サウンド・オブ・サイレンス」の電話リクエストが来はじめたんです。そのころにはボブ・ディランのプロデューサーをしていたトム・ウィルソンが、ディランがフォークからフォークロックへ行く中でそのバンドを連れてきていたんですけど、彼らを使って僕らのオリジナル録音にドラム・ベース・12弦エレキギターを重ね録りしたんです。そしてそれをリリースしたところ、チャートを徐々に上昇し始めて、とうとうNo.1になったんです。

SS:「サウンド・オブ・サイレンス」だけでなくほかの曲にもいえるかもしれませんが、あなたにとってこの曲の意味するところは年を経て変わってきていますか?

AG:僕に関していえば、この曲を歌うときは「きっと観客は本当のところ歌詞を良く知らないだろう」って思ってます。歌詞はヒットしたバージョンではもうずもれてしまってますから。この12弦ギターの音は歌詞の重要性をかき消してしまっているところがあります。だからいつも彼らは今始めてこの曲の歌詞の意味をかみしめているところだという意識を持つようにしています。なのでくっきりと発音して歌ったりとかするようにしてます。でも大体においては、この曲を歌うのは時間を超えた経験だと思いますよ。僕は歌うときには、自分がそれぞれの歌詞のラインでやりたいことを追い求めていくんです。歌は喉から出てくるんですけど、頭の中で僕の歌いたいと思うメロディラインを目指して飛躍する感じなんです。行ってみればサーフィンをしているようなものですかね。まるで素敵なメロディアスなラインを追い求めてさまよってるみたいな。歌っているときはそういう感じなんです。

SS:サイモンさんは?

PS:40 年を経てみると、この歌詞は大きな力を持ってきました。ひとつには単純に長い間歌い継がれてきているということで。僕はいつも自分がこの曲を21歳で書いたと言うことに驚くんですよね。その当時は曲を書くのがうまくなってきたかな、とは思ったけど、今になってみたら当時は気がつかなかったけどすごい曲を書いてたなって思います。いわゆるなんというか、いろんなことを教示しているとってもシリアスな歌だったので、今になってもこの時代の何かを語る力がこの曲にはあります。その力というのはやはり時を経ることで強くなってきたのではないかと思います。だからノスタルジア、これはステレオでこの曲を聴いたことを記憶している僕らの世代やその子供たちにとってもとても強い力を持ちますが、それとともに昔とまったく同じではないにしろ、その時代の雰囲気に関しては、現代についても何かを意味することができる力、この過去と現在のコンビネーションがこの曲の力ですね。







posted by yossie at 00:00 | 東京 ☀ | コメント(0) | トラックバック(0) | Simon&Garfunkel
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